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選挙の顔より政策で「民主党党首」

今朝の朝日新聞の社説
「自由民主党総裁選挙」選挙の顔より政策で」の見出し

前段で、自民党の総裁選挙を、「複数の候補者によるにぎやかな政策論争で雰囲気を変え、出直したいところ」と揶揄し、「だからこそ、麻生氏ら候補者は国民が聞きたいと思う政策についてそれぞれ率直に具体的に語り、勝者の主張をマニュフェストにするべきだ。」としている。
 一方、民主党の党首選挙に関しては「無投票になりそうなのは残念なことだ。自民党の総裁選挙に埋没しないためにも、小沢代表にはマニュフェストづくりを通じた活発な党内論争を求めたい」としている。

民主党総裁選挙こそ、国民に開かれた自由な政策論争の場にするべきではないのか?
色々な考えを持っている政治家は民主党の中にこそ存在する。それが小沢さんに気を使って誰も出馬しない。こんな不自然なことはない。

民主主義とは、政治家個々が自由な議論と主張のぶつかり合いの中で良い政策が生まれるのだと思う。

それが、どうしたことだろう。かつて、福田総理との大連立構想を独断で進め、党幹部の反対に合い、それなら党首を辞めると言い出し、それを子分に成り下がった幹部が引き止める。そして皆が言うのなら「辞めるの辞める」でも、「そこまで党首でいて欲しいのならみんな僕に絶対服従だぞ」と民主党党首に復帰。

まるで、小学校の駄々っ子政権ではないの?
その点、自由民主党は、やはり政治家の熟度も修羅場の数も経験値が高い。民主的な総裁選挙をやろうとしている。民主党と比較されて当然だろう。

「人と人が集まって為されるもの」はどこの世界でもそんなことがあるのかもしれない。

小学校の生徒会選挙のほうがまだ民主的か。なら歳をとるにしたがってドロドロしてくるのかもしれないね。歳をとるほどに脳組織が硬直してくるのかも。

その際たるものが今の政治におけるリーダーの決め方。言いたいことがあったらしっかりと主張しながら。同志・同調者を固めること。誰がリーダーになるかは、そこで民主的に議論をして衆議一決だ。

by ando-ayabe | 2008-09-03 08:45 | 日々の生活  

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