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その本、乱れて末治まる物はあらず

3月16日
彼岸入りの今日。お寺の提灯付け、幔幕を張る。青年部の仕事だ。檀家がみんなでお寺を支える。
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お寺はお葬式だけのものではない。かつての中国の「お寺」の意味は、生活に関する役場との意味があった。漢の時代には「鴻臚寺(こうろじ)」では、海外の賓客接待所としての役割を持っていた。

今は、多くの寺がお葬式だけのものと檀家の人々は思っている。しかし、本来は、心の修養の場。研修施設なのです。そう思ってお寺を見てゆくと、お上人さんも檀家も勉強をしなくてはならなくなる。今、全国の寺で、檀家離れや宗教離れ、僧侶が法話が出来なくなる現象が生まれている。

それは、お坊様の責任ばかりでもない。檀家もお寺を利用しないからお坊様も勉強をしなくなったのだ。先祖の墓参りやご本尊様へお参りすることこも大切です。

提灯を付け、10時に帰宅。その後13時から綾部混声合唱団の特訓に中筋ふれあいセンターへ行く。4月に夜久野の老人ホームへの訪問や京都合唱際のための練習。みなさんと楽しく練習をする。

午後5時過ぎ終了。明日からの予算審議のための事前調べをする。

奥さんも朝から「燦々堂」にて終日お茶会。当番で行き、くたくたでお帰り。茶道も禅宗と言う仏教精神の中から生まれた。

人々の生活が日本の宗教によって形成されていることをあまり理解しないで、過ごす日本人が多いが、物の本質を知らずしてうわべだけで取り繕う日本人が増えている。

『その本、乱れて、末治まる物はあらず』

by ando-ayabe | 2008-03-16 20:23 | 日々の生活  

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