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教育と文化

今朝の京都新聞1面は、とてもカラフルだった。
牛丼、カツとじ丼、牛たま丼、カルビ、ごっつ旨いチャーシュー6枚入りラーメン、ミニロールキャベツ、肉餃子などなど、冷凍食品の袋の写真が満載だ。その写真の最後には竹の子の水煮の偽装まで発覚している。

改めて見ると、赤色・黄色や緑の印刷色が多い。ウーム。食欲をそそる色なのか。

コンビニへ行ってもついつい袋の裏側を見る。食全体に不信が広がり、購買意欲が薄れる。経済にも悪い。薄利多売の付けがこんなところから来る。

家内が、「日本なら、戦後60年かかって、ルールが洗練されてきたが、中国では数年で一気に近代化が来たため、教育が追いつかないのだ」と言う。

日本は、明治維新になったとき、多少の混乱はあったが、廃藩置県になったと同時に「国民の教育」に大きな力を注いでいる。明治4年には、小学校が形作られている。京都には170もの小学校が明治4年には出来上がっている。

教師には、書物を常に読んでいた「侍」が代用教員として雇用されている。

小学校は綾部でもそうだが、藩役所の跡を利用している。藩の役所が郡の役所になっている。
藩がないのだから、武士は食い扶持がない。町の役人や警官、教員に雇用されている。

戦前戦後140年も教育を充実してきた日本と、長年にわたって一部国民の利権の場となって搾取が続いている中国。9億の民をコントロールするうえで、「言わず・聞かず・話さず」でコントロールしないと共産主義は崩壊する。

国民教育は不要と考えているのだろう。

古代より我が国は中国の思想・字・宗教を国内に取り入れ、日本文化文明を育ててきた。親元である中国は、ただ人が多いだけで、一人一人は少しも4000年前から進歩していないような気がする。春節で帰省したいが大雪で内陸行きの列車は動かず広州駅で十数万人が待っている。実際には何十万人もの人が帰省できずに待っているとか。

大陸気質なのかもしれないが、のんびりしたものだ。

日本も、最近「教育」に力を入れないから、親を殺したり子どもを殺したりおかしい方向へ動いているような。そんな心配をしている。

基本的な道徳・規範・宗教教育はどの時代でも絶対に必要だ。

by ando-ayabe | 2008-02-02 00:22 | 日々の生活  

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