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農業談義

8月12日夜。

高校時代の友人3人からお呼び出し。

お盆前で、居酒屋もスナックもガラガラ。

静岡から帰郷中のO君。60歳になれば、ふるさとの父母を見るため、家族を残して帰郷するとか。40年間ふるさとを離れていた。これから20年間は、ふるさとにご恩返しがしたい。

農業をしながら、ボランティアをするという。

「安藤君。綾部は農業をどのように展開しようとしているのか?」

2年前まで、農業問題は担当部長だった。30代の頃は、農業構造改善で、情熱を注いできた。
少し、私なりの農業政策を語った。

簡単に書けないが
①土地利用型(水稲・茶)農業の個別農家の規模拡大(10ha以上)・土地利用型農業の生産法人・受託組織の育成と京野菜の特色のある農業生産法人の育成
②集落内の農地の保全のための、農家組織の維持・育成。スケールメリットが得られない地域の水田農業を守る「受委託組織」の育成
③施設型農業や露地野菜の特産振興(京野菜ブランドの引き続きの確保)・茶・特用林産物(栗・マツタケ・山椒)・山菜(蕗・蕨)の生産振興と加工産業、流通産業との連携
④広大な面積を有している森林の保育・間伐・広葉樹への植生変更

などだ。綾部は農地も山林も広大。あらゆる農業関係機関・団体とのトップ・ライン共々の連携は不可欠だ。特に関係する農家組織・自治会など地域へ入り込んでじっくりと話し合い、そして決断・行動しないと絶対に上手くいかない。

30代に農業構造改革の担当係長として、私市・小畑3町区・志賀郷北部4町区・小仲・清水・豊里地区へ夜な夜な入り込んで、地域の農業構造を変え、農業生産組織を育成してきた経験から自信を持って言える。

集落のリーダーと一緒に集落の大多数が納得してもらえるまで、農協・府農業改良普及所・府出先機関・綾部市と3者で徹底して戦略を考え、地域の皆さんの理解を得たことを思い出す。

市や国の農業政策の方針を綾部なりに構想・企画する。次は、その政策をどの作戦で実現させるのか、トップが現場を信頼し口を出さないこと。任せてもらった現場は最善を尽くす。夜な夜な集落に入り込む。じりじりするかもしれないが、事業進展中はトップは口を出さない。そしていよいよ最終はトップが決断する。そんな方法で各地で事業を進めて来た。

カントリーエレベーター(米の感想調整貯蔵施設約9億円)の建設に関しても、農協との連携があればこそだ。当時のY専務の決断と農家への説得。綾部市も農協を支えた。一緒に集落に入って農家への理解を求めた。

時代が違うかもしれないが、人の気持ちは一緒。

O君は、農協に厳しい意見を持っていた。
農協は、農家の代表が運営している。農家が農協を支えている。変革が必要ならどんどん農協に提案をして欲しい。流通は多様化している。しかし、市場は、量を求めてもいる。綾部のような広大な農地を保有している地域の農業は誰が総体として支えているのだろう。

個別の消費者をターゲットに農協を通さず販売している農家も何件かある。しかし、それには、相当のその農家の努力があってのこと。販路確保まで、農家個々ができるだろうか。それも、綾部全部の農家が。出来ない人もいる。出来るだけ時間コストや設備投資を考えずに自己の農地を守りたい兼業農家もいる。そんな農家がほとんどの状況で、農地を農業を守って行くのは大変だ。農協もあり、農業生産法人もあり、直売方式の個人経営もある。いろんなチャンネルを選択できる。そして切磋琢磨して、農業を、農地を守ってゆく。これが将来の農業のカタチではないだろうか。

話は尽きなかったが、1970年代の歌を一杯歌い、最後に岡林信康の「友よ」を歌って別れた。元気でがんばってください。
また綾部に帰ってきたら、語り合いましょう。

by ando-ayabe | 2007-08-16 07:34 | 日々の生活  

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