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教育流動化時代

朝から終日雨だった。司馬遼太郎の「世に棲む日日」1卷に続いて2巻目を読み始めた。
吉田松陰の行動を司馬遼太郎なりに捉えている。幕末維新の日本人の思考について興味が沸いてきた。

西郷隆盛のような人物が、どんどん出てくる。今で言う鹿児島県の企画政策課長のような人だったのか?藩主の一介の随臣の身でありながら、徳川15代将軍慶喜をして「幕府に西郷のような能吏がいるだろうか」と言わしめた。

はたまた、大久保利通や伊藤博文など極めて優秀で現実的な官僚も出てくる。高杉晋作「面白きなき世を面白く」と言い放って、騎兵隊を創り尊皇攘夷を全うした。
そんな人がいっぱい出てくる幕末維新。すごく興味がある。

朝のテレビ番組で、「国家の品格」の著者藤原正彦氏が今の日本。70歳以下の大人の人には、既に子どもを躾育てる能力が欠如している。どうすればよいか。子どもに、特に小学生に正しい日本語の教育すること。国語教育の充実を強く主張しておられた。そして、日本の文学作品を読むことからかつて日本人が兼ね備えていた日本人の心を取り戻すことが出来る。と話されていた。

私は、教育問題このように考えます。

1.綾部市独自の教育方針を確立する。真面目で、長幼の序を備えた誠実な子ども、優しい 
心、元気な明るい心を育む、そして、勉学を真面目に取り組む子どもを育てる。
2.教師の体罰を基本的に認め、家庭教育で放棄している躾を学校で行う。
3.道徳教育(儒教・仏教など宗教教育)に積極的に取り組み命の大切さを身体で教える。
4.食育の徹底を図る。給食センター化を実現し愛郷の精神を育む、地産地消の推進を図る。
5.特別支援教育の充実を図り子どもの教育環境の整備を早期に行う。
6.国語教育の充実。土曜日授業再開、宿題の充実。
7.学校の奉仕活動や清掃活動を教育の中に取り入れる。
8.挨拶を教育の一つとして指導する。

子どもの教育は、議論している段階を超えており、実行の段階ではないか。大胆な提言だが、中途半端は決して解決に結びつかない。戦後時代は大きく変わってきている。

今年も、綾部市内の中学校を卒業する成績上位者は綾部高等学校へ進学せず、福知山の私学や他市のスーパー2類へ進学する。このままいけば、綾部高等学校必要論?が出てくる懸念がある。

また、府PTAの役員から公立学校(中学)の教師が語っていた話として聞いた。「自分の子どもは府立高校では良い大学へいけないから私立高校へ行かせる」と言っていた。公立学校の先生が言っているのだから、どうしようもない。

かつて、江戸時代。各藩は、立派な学者を招聘し、藩校で、人間教育を行ってきた。
松下村塾や滴塾など私塾もあった。明治時代になって、教育は国家管理に。しかし、戦争へ送り出した教育。戦後はその反動で個人尊重放任教育。結局のところ、教育の国家管理はうまく行かない。明治維新後140年。日本の教育は、右へ左へ蛇行を繰り返している。

議会でも教育委員会は「教育は不易・流行」という答弁をよく耳にする。
それなら、スーパー2類へ流れる子どもの現実は不易か?流行か?戦後教育が不易か?江戸時代の教育は不易か?

校内暴力で教室崩壊の危機に瀕し、集中して授業を受けることが出来ない子供の保護者は「不易・流行」とゆるゆる構えておれるのだろうか。

by ando-ayabe | 2007-05-06 22:11 | 日々の生活  

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