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三畏

アメリカの銃社会がゆえの大量殺人
 生きるための手段として所持した銃。今や死への恐怖と不安に駆り立てている。
 西欧社会の宗教心とはどのようなものか。
 かつてイギリスで、清教徒は迫害を受けた。安住の地を求めて新大陸アメリカへ移住。先住民(インディアン)と銃で戦い、安住の地を得た。「自分の身は自分で守る」が基本のアメリカ。憲法修正条項で、銃を所持することを認める。
 「汝の敵を愛せよ」キリスト教は人々を救済するための宗教ではないのか。

アメリカは契約社会。あるいは訴訟社会とも言われている。黒か白をはっきりさせる社会。そんな土壌でアメリカは成り立ってきた。

一方日本はどうだろうか。聖徳太子の時代から「和をもって貴しとなす」人々は大和朝廷の頃より、お互いが助け合う農耕社会を構築してきた。そして、自制を促す精神を仏教を通して、育んできた。社会が落ち着くまでは、下克上社会が続いた。その中では太閤秀吉による「刀狩り」によって、無用な殺戮を禁じ、平和な中世社会を打ち立てた。

 そのころ、アメリカが生まれる。

日本の耕作社会を見ても、水田の水争いはあったものの、水は農民の共通の財産として、大切に使われ、共助の精神によって社会が維持されてきた。

精神構造が違うとはいえ、昨今の日本社会。無宗教の人が30パーセント以上におよぶとか。
いつの時代でも、毎日の生活で、自分の力ではどうにもならないことがある。生・老・病・死・欲・憎・愛・別離。仏教では、四苦八苦と言う。天命と割り切る心。それが宗教心だ。

アメリカ社会では、自分ではどうにもならないこと。他人への憎しみや社会への憎しみを、宗教心で克服することなく、暴発し、自爆してしまう。それを可能としてしまう社会。

わが国も、古くからある文化や伝統、宗教心を大切にせずに、自由や権利と言ったアメリカ的発想で、解決しようとすると、不安定な社会を生んでしまう恐れがある。

『論語』に「三畏の教え」と言うのがある。三つの畏とは、「天命」を畏れ、「大人」を畏れ、「聖人の言」を畏れよ。と言う意味。

天命は=この世に生まれてくるにあたって与えられた役割を認識すること
大人は=年長の人、賢徳を備えた人、経験を積んだ人
聖人の言は=人としてのあるべき道が説かれたもの、世に生きる基準を示されたもの

by ando-ayabe | 2007-04-22 10:22  

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