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復興の希望

4月17日(火)
大船渡市を後にし、陸前高田市へ。
これまで視察を続けてきた岩手県の三陸海岸最大の被害状況だ。面積を見ても、一面が土地区画整理をしたような、そしてあのテレビで幾度も見たショッピングビル「MAIYA」の建物が津波の象徴のように慄然と立っている。
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近くには、陸前高田市役所。同じ市の職員として、この職場で、最後まで、市民の安全を祈りながら、津波避難を訴え続けた職員もいたであろう。建物には、何十人の死者が出たと記憶しているが、霊気が漂っているような心の騒ぎを感じた。建物の中には、無残にもつぶれた自家用車が1回のホールにひしゃげて残っている。市民課の窓口も税務課の窓口も全く形をとどめず、ただがれきが散乱し、堅いコンクリートのようになったヘドロが地面に堆積している。
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議員全員で黙とうをささげ、当時へ思いを馳せた。女性市議から、「同じ市の職員として、市役所の様子を見て思うことありませんか?」と聞かれ、熱いものがこみ上げてきた。ガランとなった庁舎には、海からの風が吹き抜け、電話の鳴る音や職員たちの会話、コピーの音。いつもの音がそこにはない。ただ、カモメが近くを飛ぶ羽音と鳴き声のみ。「捜索終了」の張り紙が一層涙を誘う。職員や市民も多くの人命が一瞬のうちに奪われたことへの虚しさ、胸が詰まる思いだ。
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中心商店街はきっと市役所や、「MAIYA」のショッピングセンターへ通じる一番にぎわいを見せた街並みだったのだろう。街路灯は一定方向へひしゃげ倒れ、人っ子ひとりいない。角地の一等地は、もうかさ上げしなければ雨が降れば水没するまで地盤が沈下している。
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幹線道路は応急復旧されているが、盛り土をしなければ、水没するのだろう。海沿いのメインストリートは、何キロにもわたって、盛り土した上に舗装がかけられていた。
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JR大船渡線陸前高田駅も跡形もなく駅舎が消失し、プラットホームと思しきところと津波で曲がった線路が残されている。誰も飲まないであろう、タイル張りの水飲み場。近くには、仮設の商店街の音楽と、市議会議員選挙なのだろう。だだっ広い荒野に候補者の連呼する声が響き、ウグイス嬢の黄色い声が、むなしく響く街。
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市営住宅なのか、4階まで、水がついたことを物語っている。
候補者は今こそ、復興の道筋を示さねばならない。災害から1年。多くの人々が復興のために力をささげてこられた。彼らもそうであろう。この地で政治を語る身近な市議会議員こそが、市民に希望の灯をともし、復興への道筋を示す。熱い声で人々を奮い立たせる、そんな役割をもつ市議会議員であってほしい。
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瓦礫の山をみるとともに、復興の一本松を見に行く。残念ながら、枯死していると、現場にいた市の都市計画課の職員が語っていた。みんな作業服で、まだ、復興と、被災者への手当が続いているのだろう。仲間を失っても、被災者のために日夜頑張っている職員の皆さん。
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今日は、環境省の職員が来ているとかで、一本松を案内していた。環境省の若手官僚たちは、ビジネススーツ姿で一本松を見てにこやかに談笑しながら、現地視察していた。様子を見ていてとても違和感を感じた。
なんでも、この地を国定公園とするための準備の視察だとか。せめて現地を見に来たのなら、作業服くらいは持参してほしいものだ。それが、現地の感情だろう。若い官僚の配慮の無さに霞ヶ関の意識の程度を見透かす思いだった。被災地の人たちの寄せ書きを見ていると、「それでも日本人は強い」と思った。
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マイクロバスは、一関市へ向け岩手県最後の視察地、陸前高田市を後にした。
一ノ関駅に着いたのは午後3時半。東北新幹線「やまびこ62号」で、次の視察先福島県へ移動した。途中健忘症の老人が一人。困ったものだ。(私のこと)
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by ando-ayabe | 2012-04-20 14:46 | 議員政治活動  

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