復興・再生の力
2011年 04月 10日
4月9日
すべてが済んで、帰宅。嬉しい配達物。「文芸春秋5月号」まだ4月号も充分読んでいないがもう5月号が届いた。
文春の巻頭随筆は、これまで89歳の阿川弘之が執筆されていた。9月号において、「擱筆の記」を執筆し13年間の筆を休められた。司馬遼太郎氏の後を継いでの160回。毎月続けるのは大変だと思う。それも文芸春秋の巻頭随筆。プレッシャーも相当だろう。数回続けることが出来ても、何年も何年も巻頭を任せられることは報酬以上に大きなプレッシャーだと思う。
出版社からは蓋棺録に載るまで書けといわれたそうだが、数え年で90歳になられて、交替を編集者から了解を受けたとのことだった。
自分では分かっていらっしゃったのだと思う。書かれている文章に時代を的確に把握し随筆としてキリッと時代を指摘することが困難になって来たことを。
自らご自身を量り決断することはなかなか納得(いやいやまだまだ自分の勘は鈍っていない)する事が出来ないのは世の常だ。
しかし、時代は変化し、新しい世代の流れが生まれている。そこに自分自身の経験と感性を持ち込もうとしても、もう時代遅れだということは紛れもない事実であるということ。
それを悟るのは、なかなか辛いものだし、場合によっては、あえてそう感じようとしない人もある。しかし、ついに、自分自身が見放されてしまう時。それでもすがる人。同病を求めて傷をなめあう人。もいるだろう。阿川弘之氏はうすうす感じられていたのだろう。もう時代は移っていると。自分から引くのはなかなかの決断だったろうけれど素晴らしいことだ。
社会で「功なり名遂げた人」ほど「老いては子に従え」という「好々爺」になり難いものだ。
いつだったか、娘の阿川佐和子とお父さんの阿川弘之氏の対談記事が週刊文春に掲載されていた。
擱筆の事に関してとてもほほえましい記事だった。この場合、年老いた父と娘の関係は、父と息子よりも良い関係が築けるのかもしれないな~。とふっとそう思った。
話は戻るが、その後、この月間文春の巻頭を飾る人は、三笠宮寛仁親王殿下から長嶋茂雄氏、永六輔氏、中曽根康弘氏、小沢昭一氏などを経て、5月号は立花隆氏へと継がれている。さて、これからどうなることやら、楽しみではアル。
その立花氏、今回の大震災をPTSDとして捉えるのではなくむしろPTGとしてこれからの日本の復興に大きな期待を寄せている。
PTSDとは「心的外傷後ストレス障害」だが戦中世代はもっともっと理不尽な戦争・抑留・疎開などの体験をしてきた。その中で、そのことを復活の大きな力としてきた。そこには、PTSDではなく、「ポスト(P)・トラウマティック(T)・グロウス(G)」(外傷後成長)だったという。
阪神淡路大震災を体験した子供だった世代は、今当時の震災後の避難生活を「苦難」と捉えずむしろいい思い出としているのが大部分だと語っている。
立花氏は子供のころ終戦時に中国に在住しており、帰国まで不安の中で、避難所を転々とする生活を送ったという。あるいは国内で、大空襲で家族や家を失った多くの日本人。そこから立ち上がって今の日本がある。
PTG第1世代の終戦時代の子ども達が今の日本を作ったとすれば、PTG第2世代の人々が、かならず日本を再生させてくれることだろうと。
すべてが済んで、帰宅。嬉しい配達物。「文芸春秋5月号」まだ4月号も充分読んでいないがもう5月号が届いた。
文春の巻頭随筆は、これまで89歳の阿川弘之が執筆されていた。9月号において、「擱筆の記」を執筆し13年間の筆を休められた。司馬遼太郎氏の後を継いでの160回。毎月続けるのは大変だと思う。それも文芸春秋の巻頭随筆。プレッシャーも相当だろう。数回続けることが出来ても、何年も何年も巻頭を任せられることは報酬以上に大きなプレッシャーだと思う。
出版社からは蓋棺録に載るまで書けといわれたそうだが、数え年で90歳になられて、交替を編集者から了解を受けたとのことだった。
自分では分かっていらっしゃったのだと思う。書かれている文章に時代を的確に把握し随筆としてキリッと時代を指摘することが困難になって来たことを。
自らご自身を量り決断することはなかなか納得(いやいやまだまだ自分の勘は鈍っていない)する事が出来ないのは世の常だ。
しかし、時代は変化し、新しい世代の流れが生まれている。そこに自分自身の経験と感性を持ち込もうとしても、もう時代遅れだということは紛れもない事実であるということ。
それを悟るのは、なかなか辛いものだし、場合によっては、あえてそう感じようとしない人もある。しかし、ついに、自分自身が見放されてしまう時。それでもすがる人。同病を求めて傷をなめあう人。もいるだろう。阿川弘之氏はうすうす感じられていたのだろう。もう時代は移っていると。自分から引くのはなかなかの決断だったろうけれど素晴らしいことだ。
社会で「功なり名遂げた人」ほど「老いては子に従え」という「好々爺」になり難いものだ。
いつだったか、娘の阿川佐和子とお父さんの阿川弘之氏の対談記事が週刊文春に掲載されていた。
擱筆の事に関してとてもほほえましい記事だった。この場合、年老いた父と娘の関係は、父と息子よりも良い関係が築けるのかもしれないな~。とふっとそう思った。
話は戻るが、その後、この月間文春の巻頭を飾る人は、三笠宮寛仁親王殿下から長嶋茂雄氏、永六輔氏、中曽根康弘氏、小沢昭一氏などを経て、5月号は立花隆氏へと継がれている。さて、これからどうなることやら、楽しみではアル。
その立花氏、今回の大震災をPTSDとして捉えるのではなくむしろPTGとしてこれからの日本の復興に大きな期待を寄せている。
PTSDとは「心的外傷後ストレス障害」だが戦中世代はもっともっと理不尽な戦争・抑留・疎開などの体験をしてきた。その中で、そのことを復活の大きな力としてきた。そこには、PTSDではなく、「ポスト(P)・トラウマティック(T)・グロウス(G)」(外傷後成長)だったという。
阪神淡路大震災を体験した子供だった世代は、今当時の震災後の避難生活を「苦難」と捉えずむしろいい思い出としているのが大部分だと語っている。
立花氏は子供のころ終戦時に中国に在住しており、帰国まで不安の中で、避難所を転々とする生活を送ったという。あるいは国内で、大空襲で家族や家を失った多くの日本人。そこから立ち上がって今の日本がある。
PTG第1世代の終戦時代の子ども達が今の日本を作ったとすれば、PTG第2世代の人々が、かならず日本を再生させてくれることだろうと。
by ando-ayabe | 2011-04-10 10:09 | 議員政治活動