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日限地蔵尊大祭

4月15日(木)
日照不足で、野菜が打撃を受けている。農業も本市の主要な産業。日照不足・低温の影響が心配だ。かもなすやミズナの生育状況はどうか。

9時過ぎに若者サポートステーション事業や定住促進事業のお手伝い。私に出来ることはどんなことでもどこへでも出かけて協力します。
車で塩岳山楞厳寺(綾部市館町)へ。日限地蔵尊大祭・水子地蔵尊供養・無縁経大法会。毎年お参りしている。(市内真言宗各寺院様による読経)
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永井修総代から「たすきを掛けて来れば」と毎年同じことを言われた。(水子地蔵尊)
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(日限地蔵尊)
母や家内の実家の菩提寺でもあり、ご住職と懇意にさせていただいている。今年もお参りして従兄弟が眠っている墓にお参り。境内で、家内の親戚になる大槻実雄さんにお出会いする。1月の市長選挙時に雨の中、初午大祭で、境内で3候補が鉢合わせしたのを思い出す。大槻實雄さんに案内いただいて山崎市長候補(当時)が挨拶回りした境内、今日も参拝者で賑わっていた。

本堂横の墓地には、初代綾部市長長岡誠氏と奥様の墓石が静かにたたずんでいた。故長岡市長は豊里出身だったようだ。
墓碑名(戒名)も粋な名前が刻んであった。紫水ケ丘を整備し、紫水荘や現長で酒を嗜み、俳諧、陶芸をこよなく愛した政治家。医者でもあり文化人でもあった粋な初代市長。
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大槻さんから寺の「梵鐘」の謂われをお聞かせいただいた。この釣り鐘、江戸時代の綾部藩の釣り鐘だったそうだ。昭和16年ごろに戦争が激しくなり、町にある全ての金物を供出することとなった。西新町の浄光寺にヤカンや金タライなどあらゆく金物が集められたが、時の綾部町長だった長岡誠さんが、大槻實雄さんに「大槻さん。この戦争、どうせ負ける。折角貴重な綾部藩の梵鐘を失くしてしまうことは綾部の歴史を失うようなものだ。この釣り鐘だけは残しておこう」と菩提寺の楞厳寺で保管されたと話を聞かせていただいた。戦争が風雲急を告げる時期。先見の明がある。
梵鐘には福知山在住の「重定」と言う鋳物師の銘が入っていた。美しい音色の小ぶりの釣り鐘。歴史はつながった。

そこで提案。綾部の歴史的遺産を紹介する特集を市民新聞で紹介してはどうだろう。その紹介によって市民が休日に足を運ぶ。市民の文化度も上がるし、観光振興にもなる。

本堂前の山のミヤマツツジも徐々に見頃に近づいていた。吟行の皆さんもツツジの山を前に一首ひねっておられた。
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私も一首。
地蔵尊 大師も見るか ヤマツツジ   
紫水翁 梵鐘の音に 眠り醒め
                        下手やな~。

午後は、自治会が管理する「最上位白尾稲荷神社」の会計監査。二宮神社山口総代と一緒に監査。約1時間で終了。監査終了後、自宅にて作業。来賓の出欠が次々電話で入ってくる。

夕方、久しぶりに若竹町の御大から一献のお誘いがあり6時から9時過ぎまでお付き合いする。外は寒い。折角洗って仕舞おうとしたジャンパーだが、致し方がない。色々意見交換する。

過日の教員の破廉恥行為に対する京都府教育委員の処分内容のテレビ報道がされていた。停職1ヶ月の処分で、同日依願退職となったとのことだった。トカゲの尻尾きりのような処置だと感じた。

この件は保護者や児童に与えた影響は極めて大きい。ことさら事態大きくしなくても良いのではないかとの意見もあろうが、事実・経過をしっかりと公開し、どのような教職員の生活管理がなされていたのか。このような事態となった時の上司や教育委員会の対応はどうだったのか。子どもや保護者への影響をどのように捉え、教育全体に対する信用失墜にどのように対処するのか。これらのことをしっかりと捉えていくことが何より重要ではないだろうか。身内に甘い体質や隠蔽体質はないのか。これらも事実の経過と一緒に把握する中で、今後どのように改善していくのか。トカゲの尻尾切りで終わることがないように、「確認」を議会で行う。しかし、このことは、綾部の教育全般に関わることでもある。保護者会や教育関係者も含めて、しっかりと事実確認を行うことが今こそ必要ではないだろうか。

綾部市議会総務教育建設委員会は4月19日(月)午前10時から綾部市役所第一委員会室で開催される。


 

by ando-ayabe | 2010-04-16 10:39 | 日々の生活  

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