月下独酌

5月19日(月)
今日は雨が降るものと思っていたが、夜まで延びたようだ。

午前中は創政会会派の会議。

午後食事後、事務作業や外作業をする。

「月下独酌」「田毎の月」は今頃のことを言うそうだ。

月下独酌
先日、嵐山の「三船祭」の賑わいを見た。
しかし、一方で、嵐山には、大きな日中友好の証がある。
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綾部市は市長、議長、商工会議所の三氏が21日・22日・23日の3日間訪中する。
今中国は喪中。中国常熟市との友好20周年記念事業があるらしい。

友好の歴史は京都嵐山にあった。孫文・魯迅・周恩来・温家宝と続く友好の流れ。

脚下照顧。大きな騒ぎ(パフォーマンス)よりも、静かに日中を考えたい。

中央新聞より

雨中嵐山
死後30年が過ぎても中国人のきん慕が絶えない周恩来氏は青年時代の一時を日本で過ごした。1917年に19歳の周氏は自身の未来を日本留学にかけた。孫文、魯迅などエリートが近代化に先に成功した日本に滞在し、中国の変革を夢見たのと同じ道を歩もうとしたのだろう。だが、周氏は1年半後に留学生活をたたむ。早稲田・京都大などで聴講したものの、正規入学が不如意だったうえ、5.4運動(1919年の抗日闘争)前夜の荒波にもまれた祖国の情勢が帰国の途を催促したからだ。

19年4月5日に中国行きを決心した周氏は京都の景勝地、嵐山に上り1編の詩を残す。霧のようにまき散らされる春雨に塗れた桜の花がはかなく落ちる光景を見ながら、21歳の周氏は次のようにうたった。「雨脚は強く、霧は濃く立ちこめていたが(瀟瀟雨、霧濛濃)/雲間から一筋の光が射し、眺めは一段と美しい(一綫陽光穿雲出)/(中略)人間社会のすべての真理は、求めれば求めるほどあいまいである(人間的萬象眞理、愈求愈模糊)/だが、そのあいまいさの中に、一点の光明を見つけた時には、さらに美しく思われる(模糊中偶然見着一點光明、眞愈覺嬌妍)」。

後日フランス留学を経て革命の指導者になった周氏は、中国の初代首相になった。72年には田中角栄首相と日中国交正常化に署名した。そうした事情から日本でも同氏の人気は他の中国政治家の追従を許さない。同氏が若き時代に『雨中嵐山』をうたった場所には日本人が立てた詩碑が設けられている。

先週、中国首相としては6年半ぶりに日本を訪れた温家宝首相が周氏の詩碑に献花した。ギリギリの日程にもかかわらず、温首相は詩碑訪問を強く希望した模様だ。周氏がそうしたように、過去を克服し新たな両国関係を結んで行きたい、との決意がうかがえる。温首相は感慨無量の表情で「周首相は日中友好の先駆者だ。(彼が芽ばえさせた)友好の花はさらに光るだろう」と述べた。

偶然にも周氏と温首相の間には共通点がある。2人は、天津・南開中学校の先輩と後輩の仲だ。終生自身の服を修繕(しゅうぜん)して着るほど素朴で、中国の津々浦々を歩きまわり人民と共にした周氏のイメージは、いま『庶民宰相』と呼ばれる温首相が受け継いでいる。

76年に他界した周氏は、生前に「桜の花が咲く春にもう一度日本を訪れたい」と語った。留学時代以降60年間、周氏はその素朴な夢をかなえられないまま世を去った。その願いを「第2の周恩来」を夢見る温首相が代わりに実現したのだろうか。
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by ando-ayabe | 2008-05-19 21:19 | 議員政治活動 | Trackback | Comments(0)  

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