敢闘の誓い   

2006年 12月 08日

  太平洋戦争が始まった。昭和16年12月8日真珠湾攻撃の日。あれから65年
戦前は、民主主義はなかったかもしれないし、皇国史観や天皇崇拝・国家神道であったかもしれない。しかし、こどもは親を敬い、先祖を崇拝し、国を愛した。少なくとも、親は子どもを育てるために、貧しくても一生懸命働いた。子も親に感謝し、手伝いや甘えた心は持っていなかった。と思う。
 たった65年で、忍耐や敬愛、質素・倹約・規律などと言う言葉すら知らない子どもや大人がわが国に蔓延している。要求ばかりで辛抱することがない。権利だ、個人の自由だ。思い通りに自己の主張が通らなければ、卑劣な手法で攻撃を加える。そんな人々が世の中を闊歩する。
 近くの本屋さんが、月刊誌を配達してくれた。硫黄島「栗林忠道中将」の特集の「歴史街道」という雑誌。
 何のために2万人もの日本軍が硫黄島で戦死したのか。愛する国・愛する家族を守るため、魂となっても闘う「敢闘の誓い」のもと、軍事力でで圧倒的不利な中で、アメリカ軍を1ヶ月硫黄島に足止めし、2万人もの兵力を失わしめた。そんな先人がいた日本。どの時代でも、きれいごとばかりでないことも承知しているが、与えられた自分の役割を全うする。最善を尽くす。そして散っていった先人たち。
 「国の重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」
 真珠湾攻撃作戦を立案した連合艦隊司令長官山本五十六。陸軍中将栗林忠道とは、共通するところがある。二人とも、戦争までにアメリカの莫大なる軍事力を目の当たりにして、日米開戦を反対していること。しかし、開戦やむなきに至ったとき、敢然とその任に当たって最善を尽くし「敢闘」したこと。200万人が犠牲となったこの戦争を今にどう生かすか。今に生きる私たちの役割ではないか。
 占領政策の中で、米軍は日本国憲法や教育基本法と言う「飴」で日本人から「愛国心」という思想を蕩かして「愛国」という思想を持たないようにしておきたかったのではないだろうか。硫黄島決戦や沖縄で「日本人の精神」を恐れたに違いない。それにまんまと乗ったつけが、今、子殺し、親殺し、ネグレスト、学校崩壊、家族の崩壊、犯罪増加など取り返しのつかない日本にしてしまった。いまさら「膏薬」のような対策をいくら張ったところで、すぐに効き目が薄らいで、また「膏薬」張らなければならない。占領軍によって「軟弱国民製造計画」の策略のもと憲法や戦後教育基本法がつくられたとは、思い過ごしか。
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by ando-ayabe | 2006-12-08 00:14 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

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