蔵王権現=艮金神   

2016年 06月 11日

数年前に吉野を旅した。金峯山寺の壮大な伽藍の蔵王堂もコースに含まれており訪問した。金峯山寺蔵王堂は大峰山の修験道とは別物と考えていた。その際、蔵王堂の秘仏蔵王権現立像を見た。写真撮影が禁止だったので、パンフレットを購入した。

ある人の叙勲パーティでその金峯山寺正確には、金峯山修験本宗宗務総長を数年前にご退任され綾部の淵垣に住んでおられる田中利典氏とお会いした。その際元市長の四方八洲男さんが、是非田中利典さんの話を聞く会を開催したいと申されていた。

さすがに元市長さん。即行動され今日それが実現した。ご案内を頂戴したので出席した。

午前10時30分 京綾部ホテルで開催された「田中利典さんの話を聞く会」が開催され多くの市民や行者講を実践しておられる皆さんが参加された。
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田中利典さんは、1955年生まれの60歳。八田中学校を卒業後、比叡山高校から龍谷大学を経て、大峰山金峯山寺で修行僧になられ、その後34年にわたって大峰山金峯山寺で山伏の修業を積まれてきた。15年前には金峯山寺を本山とする修験本宗宗務総長に就任され、神仏習合の修験道の普及・宗門の維持発展に全精力を傾けてこられた。昨年宗務総長を退任され、「里の行」父上が開山された渕垣町の林南院住職として、綾部だけでなく、日本各地を回って今一度民衆の宗教である修験道を広めて回られている。

12時までお話を聞いた。修験道とは?から修験道の過去・現在について、今こそ世界に必要な自他共の幸せを願う仏教を見直すべきだと。

日本人は山や森に神が住む。西欧人は山や森には悪魔が住むという思想的な違い。この話はインパクトがあった。日本人は山に対して怖れと共に、だからこそ、山や森には神が住むと信じてきた。地獄・閻魔大王は地下(黄泉の国)にあると発想してきた。(六道珍皇寺の井戸)

古くは天智天皇が吉野で祈願をしたり、後醍醐天皇が南朝を開いたり。熊野詣でや大峰修験道お伊勢参り。民間信仰は、地方を起点に地方でそれぞれ発展してきた。

田中利典さんのお話では、福知山の三岳山も東八田の弥山山も昔は修験道の山だったと。確かに奥上林の君尾山光明寺までの奥駆けがあったのも事実。それが、明治政府による神仏分離令と修験道の禁止によって一気に山岳修験道の信仰は衰退したとのこと。その理由としては、明治天皇を神格化しなければならなかったこと。山岳修行者は当時23万人もいて政治には脅威であったこと。西洋列強に対峙するためには、地方でバラバラに信仰が維持することは、国を一つにする上で支障があると判断されたこと。などらしい。が神仏分離令によって多くの歴史的財産が失われたことは、残念極まりない。

講演の最後に4つのポイントを話された。
①目標を掲げて進むこと。→目標に歩みだすことで、人と出会いゴールに至る。新たな人との出会いは大切。
②「ハレとケ」を行き来することが大事。ハレとは、普段の生活の中で節目となる行事を大切にすること。節句など特別な日(聖なる日)を大事にすること。ケとは、日常の生活に埋没すると、気が病んでくる。気が病んでくると病気になる。
③「山の行から里の行」に生きる。山で自分の宗教心を養うことから得た修験を民衆一人一人の救済を
④グローバルからローカルの時代だ。グローバルが人間を幸せにするという現代の考えは間違ってきた。ユニバーサル(普遍)は今は不要で、個性や個人の特性を生かす時代。ローカルは地域にあったものを大事にすること。それぞれの国の文化や価値を大切にする時代にしなければ。

「あやべ」は素晴らしい土地。古い価値観が息づいている。郡是や大本を生んだ綾部を考えることの意味は大きい。

午後0時半からは、昼食会が開催され、乾杯の発声をし、皆さんと歓談した。
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午後6時 同級生の倉垣君と印刷屋さんへ。同級会の案内はがきの印刷を依頼。
午後6時30分 迎えの車で、中上林の観光センターへ。
午後7時 中上林「ほたるの夕べ」開会。美しい蛍の乱舞や野外演奏を聴いた。渡辺弘造自治会連長の行動力は素晴らしい。同級生として誇りだ。


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by ando-ayabe | 2016-06-11 23:21 | 議員政治活動 | Trackback | Comments(0)

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