316回の重み

清々しい朝。太平洋高気圧が少し勢力を弱めたのか、北の寒気団が南下。乾いた大陸気候のような夏の朝。
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午前8時 熊野新宮神社へ。今年で、316回目にあたる熊野新宮神社水無月大祭祭礼。
316年前と言えば江戸時代が起源。出口孝樹宮司のあいさつによると「この熊野新宮神社は、おおよそ960年前。平安時代平重盛がこの地を治めていた「正暦年間」。由良川の景色が紀州の熊野によく似ているということで、那智山正暦寺とされ同時に、本宮山の麓に熊野神社を建立された。」

 続いて「その後、江戸時代になって、綾部藩主九鬼氏が、現在の市民センターの地に熊野神社を建立。熊野速玉大社も分祀され、熊野新宮神社とされた。そして移転建立を記念して、水無月大祭を執行されたのが起源」とお話しされた。
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これほど所縁の深い、そして歴史的にも大きな意味を持つ祭礼が綾部の地であるだろうか。そして史実として継承されていることもすごいこと。その一端を4年に一度奉仕できることの幸せを改めて感じている。また、水無月花火大会の縁起は、この熊野新宮神社の夏の祭礼の日に花火が打ち上げられていたことも改めて知ってほしい。
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午前8時から1時間かけて祭礼の準備を行い。午前10時から山崎市長、四方府議、高倉議長、消防長、商工会議所会頭代理他数多くの来賓をお招きし、厳粛に神事が行われた。
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準備の甲斐もあって、スムーズに神事が行われた。この水無月大祭は、旧暦6月28日。新暦となって7月28日に執り行われ、変わることなく続いている。夏の疫病退散。夏越しの神事の一つとして始まったとされる。一方で水の恵みに感謝しつつ、治水の願いも込めて祭礼がおこなわれてきたのではないか。江戸時代の綾部藩の記録を読んでも、毎年のように打ち続く、自然災害で、藩の財政は窮乏していたとある。藩財政は厳しいが一揆等は起こっていないことから、九鬼候は内を厳しく民には篤い政治を行っていたのではないかと考える。だからこそ、明治期の「郡是」精神が生まれ、皆でこの地を支える気風が育まれてきたのではないかと考える。
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約1時間で神事は終了。午後2時までかかって後片付け。またまた大汗。社務所で総代さんや川糸町の皆さんと「熊野詣で」の話をして、一度是非熊野詣でをしようということに。出口宮司さんも積極的にお勧めいただいた。大本信徒連合会の皆さんは、出口直子様を先頭にこの熊野新宮神社を御守護御尊崇いただきお助けしてくださる。氏子が少ない中で、出口王仁三郎師、直教祖のゆかりの神社を大切にしていただける。何事も、礎が大切ではある。歴史の上に立って今があることをもう一度理解することが大切だと思う。歴史とは、古代からの歴史のことで、戦後のことではない。よく「歴史の悲惨さ」という言葉を口にされる方々がいる。
「あの大戦」とか、歴史というと、ついこの間の第2次世界大戦が歴史のすべてのように言われる方々がいる。我が国の歴史とはそんなに浅いものではないはずだ。

午後2時に帰宅後シャワーを浴びて昼食をとり、市議選の選対本部役員さんへの依頼状と総決起集会の案内発送。100人を超える役員の方々への発送作業はデータベースが破損してない中で大変だったが、この機会にデータ化もできた。

午後6時発送ポストへ。夕食後、青野町合唱サークル「ブルーフィールド」の初公演?へのあと2回の練習。30人近い町内の女性と男性は少ないが4人集まって追い込みの練習。気合が入っている。

こうして楽しめたらよいと思う。地域の皆さんが絆を深め、月に数回でも集まっていろいろ建設的な話もできることは、地域コミュニティを醸成するうえでもよいことだ。

午後9時今日の練習は終了。あと1回で本番。
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by ando-ayabe | 2014-07-28 23:16 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)  

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