安珍清姫鐘供養   

2014年 04月 28日

4月27日(日)
毎年恒例となっている顕本法華宗本山妙満寺の春季大法要に今年も、了円寺から檀信徒22名が参加。世話役副会長としてコンダクターを。

数年前から、ビーエス観光の種清君に旅行企画を立ててもらって、今年も楽しい本山参拝が出来た。

朝、午前7時北都信金前を出発。午前9時半に比叡山を借景に立つ本山妙満寺へ。
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素晴らしい好天に恵まれ法要日和だった。上の写真は本堂から比叡山を望む。
下の写真は、松永貞徳作「雪の庭」
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午前10時からの法話に続き、午前10時半から法要第2座。今年もトヨタ自動車創業家から豊田正二郎ご夫妻が参列された。本当に豊田家は信心深い御家族だ。忙しいだろうに、きちんと法要には参加される。
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法要終了は午前11時その後、仏舎利塔前での法要。休憩をはさんで、正午からは、安珍清姫の鐘法要。妙満寺に安珍清姫の鐘があるのには謂れがある。
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元々、本山妙満寺は、戦国時代。室町に塔頭寺院が立ち並んでいた。その頃、紀州粉河寺にあった安珍清姫の釣り鐘は、その昔、安珍・清姫の怨霊がついて、鐘が響かなかったと言う。その後、戦の陣ぶれの鐘にも使われたが、流れ流れて、京都のまちへたどりつき、怨霊鎮護の願いをこめて妙満寺の門前に捨ておかれたとのこと。妙満寺で、霊を慰め法要をした
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ところ、鐘の音が清らかになり始めたとの謂れがある。

それ以後560年。妙満寺において、法要を営んでいる。その後、豊臣秀吉が、室町にあった妙満寺を寺町に強制移転させ、昭和43年京都市役所拡張によって、現在地へ移転したとのこと。
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何と歴史のある話か。そして、歌舞伎・能で安珍清姫を舞う役者は、必ず参拝に来るようになったとのこと。

今年も、法要の後に、「成駒屋」三代目中村橋之介が来演。歌舞伎舞を奉納された。その後、トークショーがあり、ちょうど、豊田正二郎氏がおられたので、3月にテレビ放送された「リーダース」の収録秘話など話され、楽しいトークショーを聞くことが出来た。

午後1時20分。妙満寺を後に、二条木屋町「がんこ高瀬川二条苑」で昼食。角倉了以の屋敷に端を発し、明治時代は元老山縣有朋の別邸だとか。税サ込で4千円は安い。

午後2時50分。嵯峨野駅へバスで移動。
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綾部に住んでいて、トロッコ列車に乗った人が少なかったので、プランに入れた。行楽シーズンで満席。予約を入れておいて良かった。

嵯峨野駅から馬堀駅まで25分の旅だったが、また違った趣で皆さん満足。

午後4時帰路について、綾部着は午後6時過ぎ。お年を召した方もいて、おくたびれだったが、好天に恵まれて皆さんご満足いただけたと思う。

地域活動や団体の活動にも積極的に協力することが、市民の皆さんの声を聞く機会にもなる。今日も、ある地区の市道舗装の悩みを聞いた。政治・行政が絡んだ事案だが、一向に解決しない。なんとか出来ないかとのこと。地域の議員さんに頑張ってもらわねばならないが。






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by ando-ayabe | 2014-04-28 00:38 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

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