むくげの花   

2013年 07月 29日

夏は、すべての花が咲き競うように美しい色を見せてくれる。
庭に咲いたむくげ。
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高貴な色合いのむくげや華麗な色のむくげ。韓国の国花は「むくげ」だと家内が教えてくれた。
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27日は花火大会で青野町界隈もにぎわった。毎年来客があり、外に出かけることができないが、今年もよさこいはにぎわったと副市長にお聞きした。
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28日は、氏神の「熊野新宮神社」の「水無月大祭」が暑い中ではあったが、出口孝樹宮司のもとで厳かに執り行われた。市長代理で副市長はじめ、多くの御来賓のもとで、315年と言う歴史を誇る水無月祭礼は滞りなく行われた。
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今年は、新宮町が当番町区だった。来年は川糸町が当番となる。熊野新宮神社は、氏子が少なく運営も大変だが、氏子や地域の皆さんで神社をお守りしている。
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子どもの頃は「権現さん」といって懐かしい遊び場だった。近くには、木造の波多野記念館や市立図書館もあった。元々熊野神社は、市民センターの場所にあった。その横、今の熊野神社の場所には、波多野記念館があった。市民センターを建設するために、波多野記念館を解体し、その場所に神社を移転した。
そういえば、天神馬場だった綾部天満宮も、NTTの移転や都市計画道路を建設するために、神域を提供し、神社を移転をした。かつては、天神馬場は、祭り神輿の練り込みの場所だったし、サーカスも来る広場があったと言う。
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新しいことを興すには、今に生きる人のために、古い形を変えてしまうことがままある。しかしその時の判断はどうだったのか。今は知る由もないが、今になってみると、おしいことをしたものではある。

木造の波多野記念館は今に残っておれば貴重な文化遺産だっただろう。天神馬場は、今もあれば貴重な町のイベント広場として天神さんと一緒に息づいていたことだろう。

天神祭に参加するたびに言われる。「綾部天満宮を元の場所に戻してくれ」と。NTT施設も今となっては無人施設。結局何のための移転だったのか。

市民センターも、もう老朽化して取り壊しの憂き目にあうかもしれない。熊野神社は何のために移転をしたのか。波多野記念館は何のために解体されたのか

歴史のページを戻すことはできないし、作っては取り壊すのが歴史と言えばそれまでだが、やはり、大きな決断をするときには、歴史の意義を検証しながら、今に生かすことをするべきだったのかもしれない。

熊野新宮神社の北側の角に、[蚕糸同業組合」の事務所が残っている。しかしこれも老朽化している。
歴史を今に残す手法は無いものか。

青野町の三宮神社は、母子寮「若草寮」を建設し、都市計画道路を付けるために数十年前に用地買収にあい、せんだん保育園の北側の二宮神社に合祀されてしまった。

子どもの頃は、市立図書館の移動バスが三宮神社に来て、夏休みに神社の広場で本を読んだりした。川糸町から近かったのか、遊びに来た思い出もある。

三宮神社の後に建設された若草寮はその機能を終え閉鎖された。今はコンクリートの建物だけが、歴史を刻んでいる。

果たして、当時のまちづくりはこれで良かったのか。地域の公共的広場ばかりが移転撤去の対象となって、跡地に出来た公共施設は地域のために市民のために役割を果たしてきた。しかし結局その役割も終えようとしている。

熊野神社の蝉の声を聞きつつ、昔を思う。今に生かす歴史とは。
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by ando-ayabe | 2013-07-29 10:07 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

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