人脈は将来の財産   

2013年 04月 03日

4月3日(水)
「いや~。そうか~。どうぞよろしく」
地元の方の葬儀の後四方府議の事務所へ行き、前日の交流会で入党をしていただいた方の申し込み用紙を事務の久美ちゃんに渡して、党活動について色々話していたら、突然事務所の硝子戸が開いて、懐かしい顔が見えた。
「四方府議にご挨拶に参りました」とシルバーグレイのダンディが穏やかな顔で立っていた。

「エッ、金谷ちゃん。そうか、今度、中丹広域振興局長か。単身赴任か。久しぶりやな~」
そうか30日の新聞を読んでいなかったので、京都府中丹広域振興局長の人事異動を見落としていた。

髪は少しグレイになっているが、30年前の金谷さんと変わっていなかった。

30年前、昭和58年4月 私は綾部市で初めて京都府地方課(現府総務部自治振興課)の研修生として1年間府庁に派遣職員として出向した。

当時綾部市は、国や府との関係があまり芳しくなかった。と言うのも、それ以前に3回も財政再建準用団体に指定され事業どころではなかった経過がある。

昭和57年2月に谷口昭二市長になって以降、他市に遅れていた圃場整備などの公共事業を大幅に取り組むこととなり、国や府とのつながりの重要性を認識され、同年4月には、綾部市の総務部長として京都府の北脇茂氏を招き、行政改革と府市協調の市政を推進されることとなった。

その一環で、翌年4月にはじめて、府地方課へ職員研修派遣を開始した。最初に派遣する研修生だったので、北脇部長は優秀な職員を派遣するよりも、ノイローゼにならない神経の持ち主を選定されたようだ。

そんなわけで、私が派遣されたその年の府の人事異動で地方課財政係へ着任したのが金谷浩志さん。とにかく優秀だった。頭脳明晰。スパスパと物事を冷静に分析し処理していく人だった。

私のような研修生は、地方課内に6人在籍していた。それぞれ財政係や行政係、税政係、振興係に分かれて、午前中は仕事、午後は、府の地方課職員による地方自治法研修等があった。また、国からの人事交流として派遣されている職員もおられた。国のキャリア・ノンキャリア、府職員、市町村職員。色々な段階の職員が同じ課で、市町村を対象とする仕事をする職場。人間関係も興味深いものだった。
1年間のうち幾度か府内出張があり、各自治体の交付税検査に出かけた。金谷氏とも一緒に出かけたこともある。いつだったか、プライベートで、我が家に泊まっていただいたこともあった。

当時の地方課の若手職員も、部長級にどんどん就任される年齢になった。すでに退職されて副市長になっている人もおられる。ちなみに当時の地方課長は民主党政権下の滝野欣也元内閣官房副長官(事務方)。行政係で国から出向されていた方は福井県副知事に。

同じ釜の飯を食った仲間は良いもので府庁に出かけても挨拶に立ち寄れる。市の現職の頃は本当に良くその人脈を活用させていただいた。

 私の派遣以降しばらく府への研修派遣は続いたが、平成10年、四方市政になって派遣は中断。山崎市政になって、再び復活し今年は、府の財政課への職員派遣もあるようだ。

 府への派遣研修は、大変意義があると私は考えている。職員研修の最たるものだ。まず派遣職員の行政に対する視点が一時的にも変わること。府下全体を俯瞰しながら仕事をすることができる。これは大きな意識改革になる。綾部市が府下でどのような位置づけなのかを身を持って知ることができる。また、年中視察研修を行っているようなもので、他市の特色のある取り組みを見聞きすることができる。一方、綾部市を代表して出向しているので綾部市の名誉のためにも必死になる。府の職員と友ができ、市へ戻っても色々な職場で、知り合った人脈が生かせる。派遣職員が市へ戻って色々な職場へ異動しても府で飯を食った経験は、府との関係で、自信となって新しい交渉力が身につく。

 また、当時と今では大分異なるが、当時は府の市町村に対する行政情報を他市よりも早く伝えることができた。またそれが許された。私の時には、綾部市の職員よりも早く、研修生を派遣していない近隣市の職員から情報入手の電話があったことを記憶している。その意味で、都市間競争だったように思う。またそのことで、市町村間での知人が出来たりする。それを考える時当時綾部市の職員はまだそのようなことに慣れていなかったな~。私の派遣以降多くの研修生が派遣された。それぞれ人脈を作って、仲間を増やしていることだろう。それがひいては綾部市の財産になることを肝に銘じて研修・交流を深めてほしい。

 今回30年ぶりにかつて机を並べた同僚(失礼)が広域振興局長として着任された。府議と共に綾部市の行政活動にアドバイスしていただけるものと大いに期待している。また昔話で一献傾けたいものだ。

 今日は、午前中、ブログを記入し、午後青野町の四方さんがお亡くなりになられ葬儀に参列。一緒に子ども見守り隊に参加したり、私の自宅に隣接する空き地の除草をされたりしてお元気だったのに。

その後、自民党事務所で、塩見組織部長と協議。午後4時半帰宅。あんどう新聞の制作準備に入る。
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by ando-ayabe | 2013-04-03 23:59 | 日々の生活 | Trackback | Comments(0)

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