人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日P京都大会

8月24日(金)
今日から2日間にわたり、京都府下10会場で、「第60回日本PTA全国研究大会・京都大会」が開催される。
午前9時綾部を出発。舞鶴綜合文化会館へ
日P京都大会_f0111128_2392575.jpg
この「日P」京都大会は、ちょうど私が府PTA協議会の役員をした平成15年度から、受け入れ準備が始まったと記憶している。
平成16年度以降、しばらく上村前会長が、京都府教委と一緒に準備委員として政令市の京都市教委並びに、京都市PTA連合会と会議の持ち方、準備の進め方などで、調整を始められた。最初は、京都市P連や市教委との調整が大変だったと、話を聞いたことがある。

府教委はT前教育長。何度か暗礁に乗り上げることもあったと言う。その後、8年間、良く準備ができ上がったものだ。

その間の歴代会長・役員。OB会、各教委も大変だったと推察する。今日の第2特別分科会の副実行委員長は、A達前市P連会長、その前のO槻全然会長も役員で参画しているし京都大会全体の副実行委員長は、S井市P連副会長。綾部のここ数年の役員さんは、子の大会成功のため寝食を忘れてご尽力された。ご苦労様でした。

その1日目。舞鶴市で京都大会特別第2分科会が開催された。

日P京都大会_f0111128_238841.jpg

【開会行事の閉会のあいさつをする安達副実行委員長】
今日は感動の講演もあった。TBSキャスター松原耕ニ氏。テーマは「東日本大震災から見えた学びの場を核とした地域の「絆」づくり」の基調講演。松原キャスターは、ニュース23のメインキャスターをしておられた。特に東日本大震災時に東京から全国に東日本大震災の悲惨な状況を報道されていた。

苦労話や涙の出る話を聞きながら、最後に震災・津波で何もなくなった漁村の子どもが、「それでも、親父のあとをついで漁師になる」と話していたと。故郷に子どもがいなくなれば、その地域は残らない。
 原発問題も含めて、将来子どもたちに大人は何を残すのかシッカリと考えなければならないと。それが私たちの世代の責任だと。涙ながらに講演された。
日P京都大会_f0111128_2382949.jpg

 来賓の府の幹部職員、府議や教育長など行政関係者、OBの一部の方など、開会行事が済んだ途端、一斉に退席。そりゃ~ご無体な。せめて基調講演ぐらいは聞く時間もあるだろうに。退席された何十人もの来賓の方々がすべて、それほど忙しいのだろうか?残って基調講演を聞いてもらえたのは、綾部市の四方府議と舞鶴市教育委員長など3人だけ。何のための教育研究大会かと。長年にわたって準備を続けてきたのにね。OB会は、私や細井さんをはじめ、園さん、三上さんなど10人。昼食弁当がたくさん余っていた。OB会で、ゆっくりと食事ができた。実行委員会で工夫されたのだろう。とても美味しかった。地元の万願寺シシトウや肉じゃがを入れたりと舞鶴色が出た特産弁当。来賓の方々も食べていただきたかったな。

午後は、パネルディスカッション。キーノートとして、京都造形芸術大学の山崎亮氏が、あの有名な「島根県海士町」の総合計画づくりをした経過を報告された。2300人の町だが、海士町留学で有名になったところ。それらもすべてプロデュースされたと言うからすばらしい。
日P京都大会_f0111128_238471.jpg

住民が主体になった総合計画づくりの苦労話など、素晴らしいものだった。

地域の絆づくりの実践例だった。
宮津の園君や三上さん、綾部の細井さんなどOB会も多数出席。午後2時過ぎ途中退席する。

午後3時過ぎ帰宅。明日の準備をして、午後4時半近くの歯科医へ。知覚過敏症だった。

午後6時半、自治会三役会議、11月の自治会運動会の素案協議。
午後7時半、青野町自主防災会の部長会。リーダーにやる気があるので、会議への出席率も良いし、アドバイスもし易い。だんだん良くなってきた自主防災会。綾部分団柏原分団長や大志万2部部長も来ていただき、説明いただいた。9月2日のクリーン大作戦終了後の消火栓レプリカ操作訓練や消火器具点検など協議。

午後8時半終了。

by ando-ayabe | 2012-08-24 23:10 | 日々の生活  

<< 60年の歴史川糸町地蔵盆 雨乞い地蔵でも >>