もう一度 恕の心を

7月13日(金)
大津の中学生自殺事件のニュースがマスコミをにぎわせている。匿名社会のインターネットでも、加害者家族、被害者家族共に、攻撃の矢面に立たせ、匿名人ばかりが画面の向こうで、騒ぎ合っている。

匿名社会の中で、個人の尊厳も事情も斟酌もされず、感情の赴くままに、書きなぐっている。論理的・に分析したかのように書かれているもの、はなはだ感情的に書かれているもの。そのいずれもが、どこの誰ともわからない。画面だけを向いて生きている人たちが多いのではないだろうか。(個人的見解だが)

いじめをした子どもたちを生んだ今日の社会こそが問題にされなければならないのに、加害者あるいは被害者の現象面だけに及んだ批判。加害者の親をあるいは被害者の親を、あるいは教育長の姿勢を、教育委員会の閉塞性を、そこをいくら攻撃しても何も変わらないと思うのだが。

ここは、戦後の民主教育課何か知らないが、学校の自治とか教育に政治が介入しないとか、そんなことを言っている場合ではないと思う。戦後の教育委員会制度自体も、もう形骸化・陳腐化していることは皆が承知のこと。

江戸時代の生活事情に詳しい作家の石川英輔氏は「現代人は、『便利』を追い求めて、生産力だけをどんどん増やし、無駄なものをいっぱい作ってしまった。一人あたりのエネルギー量は、昭和45年の2倍、昭和28年の10倍にもなっている。何故こんなにあらゆるものを電化しなくてはならなかったのか。おかげで、人間は怠慢になり、太り、生活習慣病が増えてきた。文明の『進化』が、人間の『退化』をもたらした。」と語っておられる。

この話は一件教育とかかわりが無いように思うが、すべては、科学文明の進歩によって便利さを得たが、人間本来が自分の力で、動かねばならないことすら放棄してお任せしてしまったため、その結果として生じた結果にほかならないのではないかと思う。

つまり、社会のシステムは戦後大きく変わったが、その結果一番大事なものを失う結果となった。

別に大津の教育長が悪いわけでも、学校の教師が悪いわけでもない。集会で教育長や学校の先生を吊るし上げしても、何の解決にもつながらないのだ。天に唾することにほかならない。と思う。
午前中から、創政会・民政会・公明党3会派で、都市計画マスタープランの勉強会に出席。皆熱心に勉強いただいた。
そのあと参加者の何人かと、里町の「せいざん」(老人福祉施設)を訪問。たくさんの人が生き生きと余暇活動をしておられた。市が直接管理していたころと比較して3倍の利用実績があるそうだ。指定管理者制度の効果だが、働いている人の賃金も考えなくてはならない問題もあるようだ。
利用者の強い要望もあり施設隣接の弓道場を解体し、グラウンドゴルフ場に改修される。センター長さんが、休館中も利用者の利便を考えて、屋外に簡易トイレが欲しいのだが、予算が無いので、難しいとのこと。予算の残額を利用して簡単なトイレ設置ができないものか。お金の使い方はそれぞれいろんな方面からの要望もあるだろうけれど、利用実績をしっかり上げている施設にこそ使いたいものだ。市への予算要望は多岐にわたるが、一定公平な目で見て、効果の上がる施策効果が上がっている施策に限られた財源を振り分けたいものではある。

以前から主張していることに、事業の目利きをしっかりとすること。同じ市道を整備するのでも、その市道をどれくらい利用しているのか。効果の上がる事業執行が望まれる。

午後、地元の自治会の配布文書、回覧文書の組ごとの仕分け作業。30組500人もの大きな自治会、たった5人の役員で、運営していくのは大変だ。

地区内の東部ブロックの組長宅へ、文書配布。その後、畑に行き、久しぶりに家庭菜園を管理。トウモロコシに防鳥ネットをしていたが、アライグマ君が、食べに来たようで、4本ばかり、トウモロコシが食いちぎったあった。ま~それも良し。いくつかはモグラや、鳥、野生動物にも分けてやらなければ、共生社会はできない。な~んて、のんびりした農業だ。昔の人はそんな風に生きていたんだと思う。

少しくらい生産物が盗られたって、いいじゃないの。トマトも、赤くなったやつをカラスがこついている。しゃ~ないな~。

どうせ自宅では食べきれないほどできる野菜。近所に配ってもまだ食べきれない。又それくらい苗を植えておかないと、途中で枯れることもある。今年はたまたま豊作。そんなときは、鳥さんや動物さんに分けてあげよう。
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by ando-ayabe | 2012-07-14 11:58 | 議員政治活動 | Trackback | Comments(0)  

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