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綾部市議会議員 安藤かずあきの活動日記です。

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まちづくり懇談会

先週2日間の夜は、風邪をひきマスクをしながら「まちづくり懇談会」(主催:民政会・創政会・自由民主党綾部支部)の中部地区と西部地区の懇談会に出席した。
主なテーマは、四方府議会議員の府政報告。都市計画マスタープランの現状説明

 2日間は、皆様の声をひたすらお聞きする側にいた。市民の皆さんからは、綾部市役所の職員の対応を厳しい声で批判される人もあったり、都市計画の無策を指摘される方、福知山市と綾部市の比較をされ、道路整備も福知山に比べて遅れていること。や土地区画整理も遅れていること。厳しい法規制で、宅地の流動化も進まないなど、いろいろ指摘を受けた。

同席の議員から元市の職員として何かご意見は?と振られたが、そこで、色々説明しても、弁明しても長くなるだけ。ましてや、多くの方々(議員を含めて)が、綾部市の市政の成り立ち。合併と歴史経過・当時からの市の財政状況とその推移など、ほとんど理解されずに、現在の状況ばかりを見て「遅れている」と御意見いただいており、いくら言っても、対立構図を招くだけ。としばしお聞きした。

私は、元市職員として、平成8年~2年間。当時新設の都市整備課長として、都市計画事業の現場責任者の任にあたって来た。都市計画に基づいて、どんどん都市施設の整備が進んでいた。遅ればせかもしれないが、市の財政状況のことを考えれば「本当に大丈夫か?」と心配になるくらい事業は進んだ。自主再建を果たした後は遅れていた都市基盤を必死で整備したように思う。
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【西町沿道区画型街路事業は綾部市の市街地交通を変革させただけではなく、新しいまちづくりを進めた】
ちょうど、課長就任後間もなく西町土地区画整理事業の東北西町区域(アイタウン1番街)の竣工・青野土地区画整理事業の換地処分完了で、地元の方々と喜び合った。一方、上延土地区画整理事業とそれに付随する、大島都市下水路路事業では、現フクヤ(SC)・モリイ周辺の大工事中だった。莫大な事業費を要した。今でこそ、上延地区は美しい街並みだが、当時は安場川の天井川の影響で、湿地帯。排水工事は難行を極めたことを記憶ている。当時の谷口市長がいつも事業費の増高と国庫補助の少なさにイライラしながら、仕方がないな~と決断されていた。駅前の土地区画整理も昭和47年当時の施行規程も整理し事業を実質的に完了させた。同時に、国道27号味方拡幅も地元に幾度か入って工事の最終交渉をしていた。また、グンゼのアスパ前交差点の用地交渉も異動直前にまとめた記憶もある。現在の形になった裏には多くの市民の協力の賜物なのだ。

福知山市の内記商店街は今どうなっているだろう。果たして福知山の方が進んでいるのか。アーケードが残されたまま、人も通らない商店街。道路通行も可能になった西町商店街。店舗が少ないのはどこも同じ。都市計画道路を整備した綾部市の方が素晴らしいと思うのだが。参加者の若い不動産の方の「綾部を評価しようよ」とのご意見に涙が出そうだった。

西町商店街の土地区画整理事業は、地域の皆さんの同意を得て、市行政だけで、45億円も投資した。それよりももっとさかのぼれば、市政施行時から綾部市は財政赤字の中でスタートし、その中で、昭和28年の13号台風の災害復旧で、上林の橋と言う橋はすべて倒壊。その災害復旧にたくさんの職員を採用した。上水道事業も始めた。第1次合併による八田・山家の学校改築事業も進めた。苦しい財政のもと、豊里・物部・志賀郷・中上林・奥上林を併合合併した。それらの町の災害復旧事業の財政負担が町だけで支えられずに、先に市制を施行した綾部市に行政をゆだねたのだ。その結果、合併した昭和31年度以降、極端な財政赤字になり、直ちに財政再建準用団体になって自治省管理下のもとの市政運営を余儀なくされている。

昭和40年になってようやく赤字団体から脱したものの。その間職員採用はされず、新規事業も凍結され、とても都市計画事業など実施できる状態にない中、今でこそ府道になっている丹波大橋や駅前ロータリーを含む府道綾部福知山線は、もともと、綾部市が都市計画事業で進めたが、財政危機になり、とうとう昭和42年に、羽室府議会議長と蜷川知事が動いて、京都府施工の都市計画事業として肩代わりしてもらったこと。この間、志賀清六市長が市政運営の不備に関して市民に謝罪したこと。とうとう昭和45年には志賀市長(2期目現職)を破り羽室新市政が誕生し直ちに2回目の財政再建準用団体指定を受け、再び自治省管理下での市政運営を行ってきたこと。当時の赤字額は2億2千万円。4年間の財政再建計画を立てている。

このような綾部市の厳しい財政運営のもとで、「夢」のような街づくりなどできようはずもなく。その影響は、羽室市政から谷口市政に変わった、昭和57年度からは、自主再建を決定。徹底した行財政改革を行い人件費をはじめ経常経費の削減を進めた。ようやく青野地区・上延地区の土地区画整理事業を進められるだけの財政状況に回復したのだ。

しかし、バブル崩壊とともに、地方財政危機が訪れ、西町沿道区画型街路事業やグンゼ前の道路整備が進んだものの、以久田野開発・東部開発のとん挫によって、四方八洲男市長に交替した。四方市長も、これまで進めてきた西町・青野・上延・綾部桜が丘などの区画整理事業を始め谷口市政下で飛躍的に進んだ圃場整備などの事業費のツケ(市債償還)が膨大になり、平成14年度以降近年まで、行財政改革を進め、借金の返済や行政経費の節減を進めるしか道がなかったことは記憶に新しいところだ。

こんな過去の歴史を知らずして、出羽の神よろしく福知山では(出羽)、兵庫県では(出羽)と比較議論される市民・議員。良く考えてくださいよ~って心の中で思っている。

今回の都市計画マスタープランに関わらず、議員や市民からは、さまざまな要望が市政に出される。「市庁舎を広域農道に移転させ新しい街づくりを」とか、「学校を統合し素晴らしい学校を」とか、「西部地域の都市公園を」とか。「給食センターはどうか。市民センターを解体し駐車場のある文化ホールを」とか。

いずれにしても、綾部市の財政は、あまり新しいことに手を出せるほどゆとりのある体質でないことだけは確かだ。ましてや、甲斐性に余る行政投資をすでにしている。(たとえば、広大な市域全域へ上水道を敷設したり、下水道もまだ半分)整備されたら、維持管理が必要。ランニングコストのことはあまり考えていない。、一旦モノを作ると、コストがかかる。そのことを考えずして次のことは語れまい。上杉の運動公園は?市道の維持管理は?出来た道路の除雪は?箱物施設の電気代は?クリーンセンターでは、まだ古い清掃工場すら解体できずにいる現実。上水道の並松浄水場なんか、昭和28年に完成した歴史的施設。もう60年近く動いている。下水道事業もまだ道半ば。これからはランニングコストと、起債償還が残される。

かつて、2度の再建団体入り、そして2度の自主再建の涙ぐましい努力をして今日に至っている。

改めて、大きな夢を語れるほどには、綾部市は財政的体力がないと言うことを理解してほしいと思う。その上で、合併しないと市民は決定した。それならお互い辛抱しながら、知恵と工夫の街づくりを市民総参加で進めるしかない。

議員は、市政運営の責任の一端を担っている。綾部市の財政体質も勉強をしながら、その中でどうやって住んで良かった綾部の街づくりを実現するのか考えなければならない。

老体の弁
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by ando-ayabe | 2012-02-19 13:34 | 議員政治活動 | Trackback | Comments(0)